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gtrtrain様からご提供頂いた小田急の写真 「1970年 SSE・NSE」

gtrtrain様からご提供頂いた小田急の写真ですが、これまでは通勤車を取り上げてきました。
まだ70年代の通勤車の写真はありますが、今日はロマンスカーの写真を・・・・・


まずは3000形・SSE
御殿場線の電化に伴いSE車を5連化したのがSSE。
晩年に更新工事が施工されましたが、外観的には5連化された当時の姿を最後までほぼ保っていました。

地上時代の本厚木駅に入線するSSE第1編成・3001×5
1970-0825-3000-3001-001.jpg
1970年8月25日 本厚木

本厚木駅に停車中の3001×5
1970-0825-3000-3005-001.jpg
1970年8月25日 本厚木
「さがみ」の退避をしているのは1900形っぽいですね・・・・


上の写真の翌日、同じく本厚木駅に入線する3001×5
1970-0826-3000-3001-001.jpg
1970年8月26日 本厚木
「本厚木」の駅名がはっきり写っていますね。
線形を見ると、現在とは若干位置が違うように思えます・・・

写真の3001×5は他の編成より早く引退し大井川に譲渡されましたが、大井川では長く活躍出来なかったのが残念でしたね。。。。



続いて3100形・NSE

長年に渡りロマンスカーの代名詞として活躍した3100形・NSE。
SSE化後の3000形と対照的に、NSEは80年代後半に愛称板が電動式になり、見た目が大きく変わった印象がありました。
今日公開する写真は、多くの方が記憶に残ってる姿の一つ手前の姿とでも言いましょうか・・・

70年代後半、冷房強化に伴い屋根上にクーラーが載せられましたが、まだ屋根上にクーラーが載る前の、屋根がすっきりしてる頃のNSE。

3101×11
1970-0529-3100-3111-001.jpg
1970年5月29日 海老名

編成写真でみると、屋根上のすっきり感が良くわかりますね。
新原町田駅に入線する3101×11
1970-1021-3100-3101-001.jpg
1970年10月21日 新原町田

写真は全てgtrtrain様提供。
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  1. 2009/02/26(木) 23:59:59|
  2. 小田急(gtrtrain様提供)|
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gtrtrain様からご提供頂いた小田急の写真 「1979年・5000形」

今日アップする、gtrtrain様からご提供頂いた小田急の写真は、1979年に撮影された5000形の写真。

まずは、2400形と並ぶ5000形・5058F
1979-5000-001.jpg
1979年 大和

現在も13本が活躍する5000形。(5200形を除く)
現在と若干仕様が違う時代の写真ですが、個人的にはこの当時のスタイルが一番しっくり来ます・・・

編成によって幕が両方黒幕だったり、種別幕のみ白幕だったり、両方白幕だったりと面白かったですね・・・・


第3次車の5059F
1979-5000-002.jpg
1979年 大和

第3次車は、一般車初の量産冷房車で登場。
冷房装置がCU12A形を搭載した第3次車の特徴は、サイクルファン併用のため設置された通風器。

どの資料を見ても通風器が撤去された時期が記載されて無いので正確な事はわかりませんが、恐らく写真は通風器が撤去される寸前だった頃だと思います。。。。。

写真は全てgtrtrain様提供。
  1. 2009/02/22(日) 23:41:23|
  2. 小田急(gtrtrain様提供)|
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gtrtrain様からご提供頂いた小田急の写真 「1970年・2400形」

gtrtrain様からご提供頂いた小田急の写真を紹介するこのコーナー。
第3回目の今日は、1970年に撮影された2400形の写真を・・・・・


1959年に登場した2400形。
当時の各停ホームの有効長の都合から20m車では4連を組めないので、それまでの中形3扉車が4連を組んだ時と同じ全長70mで設計され、電動車の粘着重量を大きくするためにクハとデハの長さが違うというユニークな編成で登場しました。
クハとデハの長さが違う事が2400形の最大の特徴ですね。

そんな2400形の旧塗装時代の写真を2枚。

1970-0529-2400-2450-001.jpg
1970年5月29日 海老名

1970-0718-2400-2450-001.jpg
1970年7月18日 相武台前

共に2499Fの写真ですが、2400番台の番号が溢れた為、クハ2499の相方のクハはクハ2450。
ちなみに、次の編成の新宿寄りのクハは、クハ2551です。

上の写真では側面にサボを掲げているのが確認出来ますね。

ちなみに前面の種別表示幕は1968年からの設置なので、このスタイルの旧塗装時代は僅か数年しか見られなかったようです・・・・


続いて新塗装化された2400形の写真を3枚。

まずは1961年に多摩川で起きた大事故から復活を遂げた2459F
1970-0529-2400-2460-001.jpg
1970年5月29日 海老名

続いて、2400形最終編成の2557F
1970-0718-2400-2558-001.jpg
1970年7月18日 相武台前

最後は、通勤急行運用に就く2495F
1970-1021-2400-2496-001.jpg
1970年10月21日 新原町田

新塗装化された2400形。
この後、1974年以降には客ドアにステップが設けられたので、このスタイルでの新塗装も数年しか見られませんでした。
また、恐らく側面のサボ受けもその時に外された可能性が高いので、サボを掲げている写真はホント貴重かも知れません。。。。


大型車の2600形が登場するまでに29編成・116両が製造された2400形。
小田急の通勤車を語る上で絶対外せない形式のひとつでしょう・・・・・

ちなみに、RP誌・1999年12月増刊号(小田急特集)の中に、2400形が誕生するまでの経緯が詳しく書かれています。


写真は全て、gtrtrain様提供
  1. 2009/02/19(木) 23:59:59|
  2. 小田急(gtrtrain様提供)|
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gtrtrain様からご提供頂いた小田急の写真 「非冷房時代の2600形」

今日アップするgtrtrain様からご提供頂いた写真は、2600形の非冷房時代の写真です。

例によって、このコーナーのみ写真をクリックすると多少大きく表示されるように設定してあります。


まずは冷房改造初年度の1972年度に冷改された2664Fの非冷房時代
1970-0529-2600-2864-001.jpg
1970年5月29日 海老名
1972年から1981年に掛けて冷房改造された2600形。
その中でも、冷房改造初年度に冷房化された編成の非冷房時代の写真は、大変貴重だと思います。

同じく2664Fの通勤急行・小田原行き
1970-0723-2600-2864-001.jpg
1970年7月23日 相模大野
小田急では見慣れない通勤○○の種別。
この通勤急行は1971年のダイヤ改正で消滅しています。
今の相模大野からは想像出来ない風景ですね・・・


続いて、同じく冷房改造初年度に冷改された2671Fの非冷房時代の写真
1970-1108-2600-2671-001.jpg
1970年11月8日 登戸
現在大きく変わりつつある登戸駅ですが、近年までこの頃と同じような風景でしたね。


1979年度に冷改された2658Fの非冷房時代の写真。
多摩川を渡る快速準急・新宿行き
1970-1108-2600-2858-001.jpg
1970年11月8日 登戸
1972年のダイヤ改正で消滅した快速準急表示も大変貴重ですね。


最後は2600形、第一編成の2651F
1971-2600-2851-001.jpg
1971年1月28日 登戸
トップナンバーのこの編成も1979年に冷改されました。


2600形が消滅してから5年。
2600形自体は多くの方の記憶に残ってると思いますが、非冷房時代の2600形は記憶に無い方や、まだ生まれてなかった方も多いと思います。
私も、非冷房時代の2600形が走ってる時代に生まれてますが全く記憶にありません。。。


写真は全てgtrtrain様提供。
  1. 2009/02/16(月) 23:59:59|
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gtrtrain様からご提供頂いた小田急の写真 「1970年 1900形」

当ブログでは、「ひと昔前の小田急」のコーナーがご好評頂いていますが、この度、gtrtrain様から70年代~80年代前半に掛けて撮影された大変貴重な小田急の写真をご提供して頂きました。

大量にある写真をどのような形で公開していくか迷いましたが、とりあえず形式毎に順次公開していこうと思います。

また、当ブログは1024×768の解像度で見やすいように作成しているので、普段は580×400のサイズで画像をアップしていますが、このコーナーに関しましては小さくするには勿体無いので、画像をクリックすると多少大きなサイズで表示されるように設定しています。


さて、前置きが長くなりましたが、今日公開する写真は、1970年に撮影された1900形の写真です。

まずは新塗装化された1900形・デハ1910以下4連
1970-0723-1900-1910-001.jpg
1970年7月23日 相武台前


この頃は旧塗装から新塗装への移行が最終段階に入った頃だと思います・・・・
当時、残り少なくなってたと思われる旧塗装の1900形。

旧塗装の1900形・デハ1911
1970-1108-1900-1911-001.jpg
1970年11月8日 登戸

恐らく上の写真の後追いだと思います
1970-1108-1900-1962-001.jpg
1970年11月8日 登戸

写真は全てgtrtrain様提供


私は町田で生まれ、当時小田急線沿いに住んでいました。
もしかしたら1900形は見た事あるのかも知れませんが、当然ながらその頃の記憶はありません。
今まで雑誌やネット上でしか見る事の出来なかった1900形。
まさか自分のブログで1900形を公開出来るとは思っても見ませんでした。

この場を借りて改めてgtrtrain様にお礼を申し上げたいと思います。
大変貴重な写真のご提供ありがとうございました。



しばらく「ひと昔前の小田急」のコーナーはお休みして、普段の○○ロケシリーズの合間にこのコーナーを更新しようと思っているので、小田急ファンの皆様ご期待ください!
  1. 2009/02/14(土) 23:59:59|
  2. 小田急(gtrtrain様提供)|
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ひと昔前の小田急 「1990年頃に撮影した4000形」

今日は約1ヶ月ぶりにこのコーナーを・・・・

今日アップする「ひと昔前の小田急」は、1990年頃に撮影した4000形の写真です。

まずは急行運用に就く4252F
090213-199x-4000-001.jpg
1990年頃 百合ヶ丘~新百合ヶ丘
パンタが切れてしまった失敗作ですが、約20年経った今では失敗作も貴重な写真の1枚ですね・・・・
新宿方の4連は5000形。
この当時は小田急顔の10連も当たり前の様に走ってました・・・・


もう1枚は、唐木田駅が開業した頃に唐木田で撮影した4056F
090213-199x-4000-002.jpg
1990年頃 唐木田
当時の多摩線は4連が当たり前の時代。
この時は将来10連の急行が走るなんて夢にも思いませんでした・・・・
  1. 2009/02/13(金) 23:48:46|
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西武の赤電アーカイブスPart4 「譲渡先で活躍した赤電 後編」

西武の赤電を振り返るこのシリーズもPart4の今日が最後になります。

最後は551系・クハ1651形・571系の譲渡先で活躍した写真を・・・・


<551系・クハ1651形>

製造から20数年で廃車された551系・クハ1651形ですが、クモハ551形+クハ1651形のセットで3編成、両運化されたクモハ551が2両、クモハ451形とセットで譲渡されたクハ1651形1両の合計9両が譲渡されました。

クモハ551+クハ1651形のセットで譲渡された6両の内訳は流山に2編成と一畑に1編成。

両運化された551系は2両とも一畑。

そして、クモハ451形とセットで譲渡されたクハ1651形は上信へ。

このうち上信に譲渡されたクハ1651形は、事故で廃車になった元451系の補充だったので相方がクモハ551形じゃなくてクモハ451形だったのだと予想されます・・・・

流山に譲渡された551系・クハ1651形

流山に入線した当日に撮影した初代「なの花」
1984-1200-001.jpg
1984年10月 流山
輸送用の連結器から電連に交換されているところ・・・・
まだ愛称板が取り付けられて無い写真なので貴重かも知れませんね。。。。

FS40台車を履いて譲渡されたので形式が変わった「あかぎ」
19xx-1200-005.jpg
馬橋

クハ1651形側から撮った初代「なの花」
19xx-1200-003.jpg
流山


<571系>
571系が廃車された1988年には、釣り掛け・非冷房の需要は無く、釣り掛け車としてはレベルが高かった571系も三岐鉄道に1編成が譲渡されたのみ。
唯一譲渡された571系の三岐鉄道601系・607Fも先日さよなら運転が行われ、ついに西武の赤電の生き残りが消滅。

三岐鉄道601系・607Fの未公開写真から1枚
070503-s601-607-007.jpg
2007年5月3日 保々


4回に渡ってお伝えしたこのシリーズですが、西武時代を知っている世代の方々も、知らない世代の方々も色々と感じて頂けていれば嬉しく思います。
客車改造された車両や、元々赤電だった701系列がまだ各地で活躍しているので、本当の意味での赤電消滅はもう少し先になりますが、西武の釣り掛け音が聞けなくなった今、質より量と言われた車両たちの引退で一つの時代が終わった気がします・・・・
  1. 2009/02/11(水) 23:30:05|
  2. 西武|
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西武の赤電アーカイブスPart3 「譲渡先で活躍した赤電 前編」

このシリーズのPart3とPart4は譲渡先で活躍した赤電の写真をまとめたいと思います。

まとめると言っても、休鉄前は遠くに行く事も出来ず、また撮り鉄を復活した時にはほとんどの車両が消滅してしまった後なので、近場の流山がメインになります・・・・・


Part3の今回は、Part1で取り上げた3形式(351系・501系・451系)の譲渡先での写真。

まずは、351系。

351系は、上毛と大井川に譲渡されました。
上毛ではクハ1411形とコンビを組み活躍しましたが、90年代初めには全廃。

10歳頃に一人で上毛を目指したものの、上毛まで辿り着く前に時間的な問題から断念し、東武伊勢崎線の太田から泣く泣く帰って来た思い出があります。。。
今考えてみるとかなりの大冒険ですね^^;

まぁ、そんなわけで上毛の写真はありませんが、撮り鉄を復活した後でも大井川ではまだ元気に活躍していました。

2扉化された元351系の大井川312系
050116-312-002_20090209230050.jpg
2005年1月16日 金谷~新金谷
このとき、既に312Fは離脱し新金谷に留置されてました。
そして、写真の313Fもこの後2ヵ月後に離脱。
ギリギリ間に合って良かったです。


続いて501系

501系は、伊豆箱根に貸出後に正式譲渡されたのを皮切りに、三岐・流山に譲渡されました。

伊豆箱根・三岐・流山に譲渡された全編成が譲渡先では3連で活躍。


譲渡された501系の中から流山の写真を2枚。

編成毎に愛称を持ち、それぞれ異なる色で全4本が活躍した流山に譲渡された501系。

銀色にオレンジの帯で登場した「銀河」
19xx-1200-001.jpg
80年代後半~90年代前半 流山
1200系の中で、唯一置き換え車両に愛称を譲らなかった「銀河」
個人的にはこの色って好きだったりします・・・・・


もう1枚は初代「若葉」
19xx-1200-002.jpg
90年代前半 馬橋
後ろには初代「なの花」の姿も・・・・・


そして最後は、451系

451系は、三岐・上信・一畑に譲渡されました。
上信に譲渡された車両は良く高崎で見掛けましたが、現役時代には撮影出来ず。
451系の譲渡先で活躍している姿は撮影出来ませんでしたが、上信に譲渡された車両のうち1編成が今も倉庫として高崎に残されています。

唯一現存している元451系
070102-100-001.jpg
2007年1月2日 高崎

次回は、551系・クハ1651形・571系の譲渡先で活躍している写真をアップしたいと思います。
  1. 2009/02/09(月) 23:41:48|
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西武の赤電アーカイブスPart2 「551系・1651形・571系」

このシリーズのPart2は、551系・1651形・571系の写真を・・・・


<551系>
1961年に登場した551系。
昭和36年製にも関わらず、あいかわらず釣り掛け車で登場。
451系が切妻だったのに対し、551系は再び湘南顔を発展したスタイル。
後に登場する601系や701系・801系・101系に受け継がれたこのスタイルが西武顔の原点ではないだろうか・・・・

冷改された701系と並び551系
1984-551-701-001.jpg
1984年 東村山
大きくスタイルを変えた701系も、551系と並ぶと湘南顔を発展させたスタイルが継承されているのが良くわかりますね。


<1651形>
1963年、ようやく西武初のカルダン車として登場した601系。
その後、中間車が冷改され701系に編入。そして残った先頭車のうち数両がクハ1651形として451系の相手役になり、451系廃車後は551系の相手役となり、西武初のカルダン車で登場した601系のクハ1601形は、クハ1651形として釣り掛け車の仲間入りに・・・・・

廃車後、小手指に留置されていたクハ1651形
1988-0604-1651-001.jpg
1988年6月4日 小手指車両管理所
クハ1601形からクハ1651形になったのは6両だけでしたが、そのうち4両が他社へ譲渡されたことを考えると、釣り掛け車に格下げされたクハ1651形は、クハ1601形のまま解体された車両よりはるかに幸せだったかも知れませんね。。。

551系と1651形の似たもの同士の並び
1984-0513-551-1651-001.jpg
1984年5月13日 東村山


<571系>
571系に関しては先日記事を書いたばかりなので、写真のみのアップとさせて頂きます・・・

自分で撮影した571系の写真は、廃車後に小手指で留置されてた頃と解体が始まった時の写真しか残ってないので、ダブルさんが撮影した571系の写真を・・・・・

19xx-571-001.jpg
所沢? 撮影:ダブルさん


2回に分けて西武の赤電を振り返りましたが、当時はお小遣いの中から交通費・フィルム代・現像代をやりくりしなきゃダメだったので、仕方ないと言えば仕方ないのですが、写真が少ないのはホント残念です・・・・・・
まぁ、それでも10歳に満たない子供に当時流行ってた??ポケットカメラを持たせてくれた両親に感謝したいですね・・・
普通に考えれば、私の年齢で廃車後の姿とはいえ501系を記録出来てる事が奇跡のようなものですし・・・・・・

さて、このシリーズはまだ終わりません。
Part3からは各地で第2の活躍をした赤電にスポットを当てたいと思います。
  1. 2009/02/08(日) 23:53:31|
  2. 西武|
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西武の赤電アーカイブスPart1 「351系・501系・451系」

先日、三岐鉄道の601系・607Fが引退し、最後まで残ってた西武の赤電がついに消滅してしまいました。
客車改造された車両や、元々赤電だった701系列の活躍はまだ各地で見られますが、やはり赤電最後の生き残りと言ったら、元571系の三岐鉄道601系・607Fと思う方が多いかと思います。

物心がついた時に西武線沿線に住んでた私にとって西武線は原点であり、その中でも数を徐々に減らしていった赤電には相当思い入れがあります。
そこで、西武の赤電アーカイブスと題して過去に公開した写真がほとんどですが、西武の赤電を振り返ってみたいと思います。
但し、、311系や371系等の写真が無い形式に関しては今回省かせて頂きますm(__)m


まずPart1の今日は、351系・501系・451系の写真を・・・・・


<351系>
1954年に初代501系として登場した351系。
今回のシリーズで取り上げる形式の中で一番古い車両ですが、17m車と言うことが幸いし、多摩湖線国分寺駅の有効長の関係で1990年まで活躍し、西武線上で最後の赤電として活躍しました。

山口線の新交通システム化後は、西武遊園地まで準急札をぶら下げて走った事が注目されましたね・・・・

萩山~国分寺間の走行音を録音したテープは残ってるのですが、残念ながら351系の写真は残ってないので、ダブルさんが撮影した351系の写真を紹介します。

西武園線運用に就く351系
19xx-351-001.jpg
東村山 撮影:ダブルさん


<501系>
1957年に初代501系の増備・置き換え用として登場。
一時はサハ1551形2両を組み込み2M4Tの6連を形成するほどのパワーの持ち主。
1980年まで活躍し、廃車後は伊豆箱根・流山・三岐等で活躍しました。。。

501系はギリギリ記憶にありますが、さすがに現役当時の写真はありません。
廃車から2年後、小手指に留置されていた頃の写真が奇跡的に残っているので過去にアップした写真ですが改めてアップしたいと思います。

小手指に留置されていた501系
1982-501-001.jpg
1982年 小手指車両管理所
右手側には1411形の姿も・・・・・
当時、10歳にも満たない子供が撮った写真なので出来の悪さはご勘弁を・・・・・


<451系>
1959年、国鉄や他の大手私鉄はカルダン車の導入を進める中、西武では釣り掛け車を製造。
西武鉄道初の両開きドアで登場したのが451系。
晩年は2連と6連で形成されていました。
2連の相方はクハ1471形はもちろん、1411形・1651形と相手を変え、1984年まで活躍。
上信・三岐・一畑に譲渡され、現在は上信電鉄の高崎で倉庫として2両が現存しています。

1984年まで活躍してたものの、451系の写真は1982年に小手指で撮影した1枚しかありません・・・・

廃車後、小手指に留置されてた451系
1982-451-001.jpg
1982年 小手指車両管理所
右側には中間車が701系に編入され余剰となった601系のクハの姿が・・・・・


最後におまけ。
今回、元々赤電だった701系列は取り上げません。
411系や701系・801系の赤電時代の写真があれば別ですが、冷改され黄色になった時点でやっぱ赤電では無いかな。。。。って感じがします・・・・・
そこで、1枚だけあった701系赤電時代の写真を・・・・・

赤電時代の701系・モハ701形
1982-701-001.jpg
1982年 小手指車両管理所
  1. 2009/02/05(木) 23:59:59|
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1988年 西武571系

三岐鉄道601系・607Fが昨日・今日の2日間行われたイベントを最後に引退しました。
残念ながら最後の花道を見送る事が出来ませんでしたので、今日は三岐鉄道601系・607Fの未公開写真でもアップしようと思いましたが、607Fの未公開写真ではなく西武571系の写真をアップしたいと思います。


1962年(昭和37年)にサハ1571形として501系に組み込まれる形で誕生した571系は、その後電装化され551系に組み込まれ、1978年に411系が401系に改造されたのを機に先頭改造され、その後は多くの赤電が淘汰される中、多摩湖線の351系を除く最後の赤電として551系と共に活躍しましたが、1988年に形式消滅。


廃車後、小手指に留置されてた571系
1988-571-001.jpg
1988年6月4日 小手指車両管理所

クハ1571形・クハ1580
1988-571-002.jpg
1988年6月4日 小手指車両管理所


FS40を履き乗り心地も良かった571系ですが、571系が廃車された1988年には、各地方私鉄も近代化の波が押し寄せ、釣り掛け・非冷房の需要は無く、2連1本が三岐鉄道に譲渡されただけで、残りの車両は解体されてしまいました。

譲渡先が無く、解体が開始された571系
1988-571-003.jpg
1988年8月 小手指車両管理所


唯一譲渡された571系も、本日ついに引退。
三岐鉄道・三岐線から釣り掛け車が消滅すると共に、客車化改造された車両が残ってるとはいえ西武の赤電の歴史に終止符が打たれてしまいました。。。

近々、公開済みの写真ばかりですが、西武の赤電を振り返ってみたいと思います。。。。
  1. 2009/02/01(日) 23:59:59|
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